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Oh my 人生 (Oh my life)

小森悠矢の生活と人生ともろもろ。Life, daily experience and everything of Yuya Komori.

鈴木大拙館と揺らめく湯気

鈴木大拙館。
実は、ここが今回の金沢訪問の本命でした。

11月から数えて、3度目、、、
もう完全に、何とかのひとつ覚えですね。

特別華やかな場所ではありません。
金沢の中心部からはちょっと外れた住宅街に、
周りと馴染むようにひっそりとある平屋建ての建物です。

が、1歩足を踏み入れるとまるで別世界。
禅の深みへ続く道が悠然と待ち構えているのです。

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詳細な説明は皆さんの楽しみのために割愛させてもらいますが、
外に主張せず、内を見つめる、
東洋の精神が建物からも立ち上がっていたのです。

無言の建築の計り知れぬ雄弁さ。
建築の奥深さを知りました。



さて、金沢をたつ前には、ゆっくり露天風呂を楽しみました。
外気が寒ければ寒いほど、露天風呂って気持ちがいいですよね。

湯面からはゆらゆらと湯気が立ち上がり、
風にさらわれあっちに行っては、私の呼吸に応えてこっちに戻り、
渦を巻いては、また散っていきます。


  ああ、綺麗だなぁ。
  
  果たして、偉大なアーティストがいたとして、
  この湯気の綺麗さを捕まえることはできるのだろうか?


金沢の21世紀美術館のせいか、露天風呂で1人のせいか、
心はアーティスト気分です。


  絵で捕らえるのは難しい、映像にしたところで何かが足りない。
  音楽は、、、私にはわからない分野だ、やめておこう。

考えれば考えるほど、湯気の揺らめきは
人間の表現のその先、その先へと逃げていくように感じられるのです。


  この自由自在動き、偶然にしては出来すぎだ。
  であれば、この湯気には意志があるのだろうか?


そんな問いがのぼせた頭に浮かびました。




狗子仏性(くしぶっしょう)という、禅の公安があります。


  あるとき、ひとりの僧が和尚に聞きました。
  
  「犬に仏性はあるのでしょうか?」
  
  和尚は答えました。
  
  「無」



これだけの短いお話です。
無とは、「仏性がない」という意味ではありません。
有/無という2択を超えた、絶対の無なのです。

有/無というのは、人間が勝手な都合で分けたわけ方ですが、
その分かれる前の混沌状態(正確には、混沌という形容も出来ない状態)が
「無」なのです。

犬の仏性について知りたい僧侶に対して、
和尚は「有り」とも「無し」とも言わずに、「無」とだけ言った。
それは、「有り」「無し」も包み込んだ答えだったのです。


言葉による分析な見方を拒否し、
体験的に全宇宙をぐわっと把握するのが禅思想。



であれば、さっきの話はこんな感じでしょうか。



  湯気に意志はあるのか?
  
  
  いい湯だなぁ。



どうでしょう、大拙先生!