Oh my 人生 (Oh my life)

小森悠矢の生活と人生ともろもろ。Life, daily experience and everything of Yuya Komori.

やせ過ぎモデルと平安美人

フランスで「やせ過ぎモデル禁止法」が可決されたとニュースでやっていました。

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出典:https://doctors-me.com/doctor/column/815

 

極端な法律を作るもんだと思いましたが、

事情を聞くと頷ける部分も多くありました。

 

やせ過ぎモデルに代表される極端な美の形が、メディアによって広められ

感受性の高い若者がもろにそれを喰らってしまっている、というお話。

 

まさに情報汚染の典型ですね。

だからその情報のもとを断つ、という法律です。

 

でも、私には根本原因は違うとこにあるように思えます。

それは、現代人が身体を失ってきているんじゃないか、ということです。

 

何が言いたいかというと、

頭でっかちになりすぎて頭で考える「頭にとっての美」が絶対的なものになって、

身体が感じる「身体にとっての美」が無視されているということです。

 

身体が健康に機能していれば、

本人だって見る人だって痩せ過ぎは良くないとわかるはずです。

多少のファッション性はあるにしても、

魅力的=健康的の枠からははみ出さないと思うのです。

歯止めが利かない感じが、身体の喪失かなと。

 

これは、身体の信号を受け取れずに、

頭が暴走してしまう拒食症という現象とも一致します。

 

だから、今回の問題を根本解決するためには

身体を取り戻すことが必要だと思います。

 

スポーツしたり、ハイキングしたり、家庭菜園やったり、

何だっていいですが、身体を動かしてフィードバックを感じることで、

だんだんと身体を取り戻すことができるのではないでしょうか?

 

畑いじりをしている田舎に痩せ過ぎはいないですよね。

痩せ過ぎは、スマフォとにらめっこしている都会の現象ですよね。

そういうことです。

 

頭だけになると、美がわからなくなる。

そんなことを考えていたら、長年の疑問が解決しました。

 

なぜ、平安美人はブスなのか?という話です。

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出典:http://rupe.exblog.jp/19511169

 

 

よくされる説明としては、

「時代や場所によって美の基準は違うから」というものです。

 

が、私はどうも納得できていませんでした。

 

だって、時代と場所が違えど、ミロのヴィーナスは綺麗だし、

幕末に美人って言われていた楠本高子はやっぱり綺麗です。(ちなみに、銀河鉄道999メーテルのモデルらしい)

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出典:http://0-yansnews.blog.so-net.ne.jp/2014-05-10-1

 

まあ、例を挙げましたが、

平安美人が美人とは感覚的に信じられなかったのです。

 

そこで私の仮説としては、平安人も、現代同様に身体を失っていたということです。

暇を持て余して一日中、和歌や短歌の短冊と向き合っているって、

ほら、まるで現代人のスマフォと一緒じゃないですか。

そうやって、頭だけの生活をしていたから、

美の形が暴走してしまったんじゃないかと思うのです。

 

身体を動かして、身体を取り戻すことで、

自分も健康的=美的になるし、本質的な美を捉えることができるようになる、

なるほど、そういうことだったんですね。